39歳になりました。
18歳(19歳かも?)のときにM:TGに出会って、はや21年。
遊んでいない期間の方が長いけど、いつの間にかカードゲームの世界では立派なシニアプレイヤーに。
始めたときは周りは歳上ばかりだったのに、今や晴れる屋で周囲を見渡しても同年代すら殆どいない気がする。
いつまでM:TGを続けられるものだろうか。
あと5,6年経って老眼になったら、眼鏡を外さないとカード読めなくなるのだろうか。
なんて、ことを思いつつ。
M:TGと格ゲーの話。
自分は昔から好きなキャラ中心であまり多くのキャラを触ろうと思わないタイプ。
好きなキャラは、ストIVならガイ、リュウ、ケン。あとアベル。
道着系はオールラウンダーだから動きの自由度があって動かしていて面白い。
※しかし、今じゃ考えられないが大分昔のリュウは永遠の未完成キャラとか言われてた(プレイヤー次第な、ある意味、中途半端なキャラ)
当時は今みたいに、中足が強くないし、スパコンもウルコンもなかったしね。
ガイはFFの頃から知ってたのと見た目が好きだったし、何より初代ZEROの性能が強烈だった。
球なし、ヨガなし、突進なし(あったけどあまり使えない)、おまけにサイコパワーもなしで道着系(豪鬼は除く)を圧倒できたのが痛快。
すっかり緩急を付けた固めというのが大好きになった。
※大旋風脚が対空として機能するのは、あまりにコマンドが簡単過ぎるからどうかと思ったけど(笑)
段々、何の話かわからなくなってきたので結論を書くと、そう言えば格ゲーの環境って、煮詰まってくるとキャラの多様性とか全然なくなるけど、別に気にもならないし飽きないなーってこと。
同じキャラでも使う人によって受ける印象は変わってくるのと、やっぱり煮詰まってくると半端なキャラと戦うよりは、それなりの強さを持ったキャラ同士で戦かった方が面白く感じるからかな。
あくまで個人的な極論(暴論)だけど、M:TGにおいても環境の多様性はそれほどなくてもいいかなと思う。
自分は道着系vs道着系とかならずっとやってても飽きないのと同じで、M:TGでも青系vs青系をずっとやっていても飽きない。
特にM:TGは格ゲーの裏目より、もっと細かい選択ミスが多くて面白い。
同じ対戦ゲームなのに、片やいくら調整しても結局は偏った環境にしかならないけど、あまり気にされずに遊ばれていて、片や必死に環境の多様性を保とうとする。
不思議だな、と思います。
時を超えた探索の禁止は置いておいて、M:TGは色によって干渉(利用)出来る領域にかなり差を設けているのが、カードゲームのシステムとして今ひとつなところだなと感じます。
全色、なんらかの形でもっと墓地や追放領域を利用出来るようにして欲しい。
別にそれがドローじゃなくても。
ちょっと黒と青ばかりが干渉出来る領域が多すぎる気がします。
手札、ライブラリー、戦場、墓地と、個々のカードデザインは置いておいて、干渉出来る領域が多い方がカードゲームのシステムとしては優れているわけで。
纏まらなくなってきたので、ここまで。
18歳(19歳かも?)のときにM:TGに出会って、はや21年。
遊んでいない期間の方が長いけど、いつの間にかカードゲームの世界では立派なシニアプレイヤーに。
始めたときは周りは歳上ばかりだったのに、今や晴れる屋で周囲を見渡しても同年代すら殆どいない気がする。
いつまでM:TGを続けられるものだろうか。
あと5,6年経って老眼になったら、眼鏡を外さないとカード読めなくなるのだろうか。
なんて、ことを思いつつ。
M:TGと格ゲーの話。
自分は昔から好きなキャラ中心であまり多くのキャラを触ろうと思わないタイプ。
好きなキャラは、ストIVならガイ、リュウ、ケン。あとアベル。
道着系はオールラウンダーだから動きの自由度があって動かしていて面白い。
※しかし、今じゃ考えられないが大分昔のリュウは永遠の未完成キャラとか言われてた(プレイヤー次第な、ある意味、中途半端なキャラ)
当時は今みたいに、中足が強くないし、スパコンもウルコンもなかったしね。
ガイはFFの頃から知ってたのと見た目が好きだったし、何より初代ZEROの性能が強烈だった。
球なし、ヨガなし、突進なし(あったけどあまり使えない)、おまけにサイコパワーもなしで道着系(豪鬼は除く)を圧倒できたのが痛快。
すっかり緩急を付けた固めというのが大好きになった。
※大旋風脚が対空として機能するのは、あまりにコマンドが簡単過ぎるからどうかと思ったけど(笑)
段々、何の話かわからなくなってきたので結論を書くと、そう言えば格ゲーの環境って、煮詰まってくるとキャラの多様性とか全然なくなるけど、別に気にもならないし飽きないなーってこと。
同じキャラでも使う人によって受ける印象は変わってくるのと、やっぱり煮詰まってくると半端なキャラと戦うよりは、それなりの強さを持ったキャラ同士で戦かった方が面白く感じるからかな。
あくまで個人的な極論(暴論)だけど、M:TGにおいても環境の多様性はそれほどなくてもいいかなと思う。
自分は道着系vs道着系とかならずっとやってても飽きないのと同じで、M:TGでも青系vs青系をずっとやっていても飽きない。
特にM:TGは格ゲーの裏目より、もっと細かい選択ミスが多くて面白い。
同じ対戦ゲームなのに、片やいくら調整しても結局は偏った環境にしかならないけど、あまり気にされずに遊ばれていて、片や必死に環境の多様性を保とうとする。
不思議だな、と思います。
時を超えた探索の禁止は置いておいて、M:TGは色によって干渉(利用)出来る領域にかなり差を設けているのが、カードゲームのシステムとして今ひとつなところだなと感じます。
全色、なんらかの形でもっと墓地や追放領域を利用出来るようにして欲しい。
別にそれがドローじゃなくても。
ちょっと黒と青ばかりが干渉出来る領域が多すぎる気がします。
手札、ライブラリー、戦場、墓地と、個々のカードデザインは置いておいて、干渉出来る領域が多い方がカードゲームのシステムとしては優れているわけで。
纏まらなくなってきたので、ここまで。
コメント
monqさんがこれからの環境でどんな
カード選択するのか気になりますね。
スニショ以外のいずれのアーキタイプも新戦力候補を抱えているので、
単純には、KTK前の環境に戻らないと考えてます。
個人的には、現行のKTK以降の新戦力はデッキの軸となったり、方向性を強力にバックアップするような換えの効かない類のものではないなぁと感じているので、次の統率者で何かそんなカードが投入されないか期待してます。